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東京地方裁判所 昭和31年(レ)1号 判決

控訴人 佐藤清

被控訴人 金子政義 外一名

主文

原判決中控訴人に関する部分を次のとおり変更する。

控訴人は被控訴人らに対し東京都北区稲付町四丁目四百八十六番地にある家屋番号同町二百十三番の二、木造瓦葺二階建店舗一棟建坪七坪五合、二階五坪を明け渡し、且つ昭和三十年十月十一日から右明渡の済むまで一カ月金九百四十九円の割合による金員を支払うべし。

被控訴人らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。

此の判決は家屋明渡の部分に限り被控訴人らにおいて金三万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

被控訴代理人は請求の原因として

一、本件家屋はもと訴外斎藤由明の所有であつたが、同訴外人は昭和二十八年九月十日被控訴人らの先代金子元治から二十万円を弁済期は翌二十九年九月十日と定めて借り受け、その債務を担保する趣旨で右貸金を期日に弁済しないときは代物弁済として本件家屋の所有権を右元治に移転することを約束し、即日その所有権移転請求権保全の仮登記をした。

二、しかして、右訴外人は前記貸金をその弁済期に弁済しなかつたので、本件家屋は昭和二十九年九月十日限り右元治の所有に帰し同人は昭和二十九年十一月二十九日その所有権取得の本登記を受けたが、控訴人はこれよりも先昭和二十八年八月十日ごろから本件家屋を賃料一ケ月五千円、毎月末日払の約定で賃借していたので、右元治はその所有権を取得すると同時に、賃貸人の地位を承継し、次で被控訴人らは昭和三十年四月二十六日右元治の死亡とともに相続によりその地位を承継した。(被控訴人政義は元治の子、同ナツはその妻である。)

三、さて、本件家屋の賃料は昭和二十九年十月分からは合意により一カ月六千円に増額されていたのであるが、控訴人は昭和三十年三月一日からの賃料の支払をしないばかりか、同年八月七日から被控訴人らに無断で田村武雄に本件家屋の内階下七坪五合を転貸したので、被控訴人らは、同年十一月五日付即日到達の書面で控訴人に対し同年十月三十一日までの延滞賃料合計四万八千円を、書面到達後五日以内に支払い、且つ田村を同じく五日以内に本件建物から退去せしめることを、求める旨及び若しこれに応じないときは賃貸借契約を解除する旨の催告竝びに条件附契約解除の意思表示をした。

しかるに控訴人はこの催告に応じなかつたので、本件賃貸借は昭和三十年十一月十日限り解除せられて終了し、控訴人はここに本件家屋を占有する権原を失つたのであるが、控訴人はその後も依然として本件家屋を占有し、原告をして従前の賃料と同額の損害を被らせている。

四、よつて控訴人に対し、所有権にもとづき本件家屋の明渡を求めるとともに、併せて不法行為(右占有は無権の占有であるから法行為というべきである)を原因として、昭和三十年三月一日から右明渡の済むまで従前の賃料と同額の一ケ月六千円の割合による延滞賃料竝びに損害金の支払を求める次第である。

なお、控訴人主張の抗弁事実は否認する。

と述べた。

控訴代理人は、答弁として

一、被控訴人ら主張の請求原因事実中(一)の事実は認める。(二)の事実については、金子元治が死亡し、被控訴人らがその相続人として本件建物の所有権を取得し、且つ賃貸人の地位を承継したことは知らない。

その他の事実は認める。(三)の事実については、被控訴人ら主張のような賃料増額の合意ができたこと、被控訴人ら主張のころその主張のような催告竝びに条件附契約解除の意思表示が控訴人に到達したこと、控訴人が右催告賃料を支払わなかつたこと、控訴人が昭和三十年十月十一日以後も依然として本件家屋を占有していること及び被控訴人ら主張のころから、その主張の本件家屋部分を田村武雄が占有していることは認めるが、右契約解除の意思表示を次の理由により無効である。

二、控訴人は本件家屋を斎藤由明から賃借するに際し、十万円を敷金として差し入れ、且つ賃料の延滞のあつたときはこれと相殺する旨の特約をしておいたから、昭和三十年三月分から同年十月分までの賃料は、その支払期経過の都度右敷金と対等類で相殺されたものというべきである。それ故前記催告当時控訴人には賃料延滞の事実はなかつたのであつて、同催告及びこれを前提とする契約解除の意思表示はいずれも無効である。

二、仮に右主張がいれられないとしても本件家屋の当時の統制賃料額は一ケ月九百四十九円であつて、本件建物の賃料を一ケ月六千円とする旨の約定はこの統制額の範囲内で効力を有するに過ぎないから、控訴人の延滞賃料は合計七千五百九十二円である。

これを一ケ月六千円の割合による四万八千円として請求した被控訴人らの前記催告は過大に失しその催告及びこれを前提とする契約解除の意思表示はともに無効である。

三、又控訴人は本件家屋の階下を田村武雄に転貸したのではない。田村が本件家屋の内階下七坪五合を占有しているのは、控訴人が同人から六万円を借り受けて、期日に弁済しなかつたことを理由として控訴人の意思に反してその占有を始め今日に至つているものであるから、転貸を理由とする契約の解除は全くいわれのないものである。

四、仮りに本件賃貸借が解除になつたとしても、控訴人は、賃借当時全部土間であつた本件建物の階下に斎藤由明の承諾を得て四畳半一室と五合五勺の押入を作りその費用として金六万七千円を出費したから、右六万七千円と敷地の十万円を合算したものから、昭和三十年三月一日から統制賃料額による一カ月金九百四十九円の割合による賃料を差引いた金額を被控訴人らが支払うまで、本件家屋を留置する。

立証として、

被控訴代理人は甲第一号証、第二号証の一乃至三、第三号証の一、二を提出し、原審証人斎藤由明(第一、二回)田畑金作(第一乃至第三回)の各証言及び原審における被告田村武雄尋問の結果を援用し、乙第一号証の成立は認めるが第二号証の成立は知らない、と述べ、且つ、原審における被告田村武雄の提出にかかる丙第一乃至第四号証の成立を認め、且つ利益に援用し、

控訴代理人は乙第一、二号証を提出し、原審証人斎藤由明(第一回)、戸丸時雄の各証言及び原審における控訴人本人尋問の結果を援用し、甲号各証の成立を認めた。

理由

本件家屋がもと訴外齊藤由明の所有で昭和二十八年八月十日から控訴人が賃料は一カ月金五千円毎月末日払の約定で賃借し、その賃料が昭和二十九年十月から合意により一カ月六千円に増額されたこと及び金子元治が右齊藤に対する貸金債権の代物弁済として本件家屋の所有権を取得し、同年十一月二十九日所有権取得の本登記を受け、右賃貸借上の賃貸人の地位を承継したことは当事者間に争がなく、又右元治が昭和三十年四月二十六日死亡し、その子の被控訴人政義とその妻の被控訴人ナツの両名が相続により更に右賃貸人の地位を承継したことは成立に争のない甲第一号証の一乃至三に徴して明瞭である。

そして被控訴人らが控訴人に対し昭和三十年十一月五日付即日到達の書面で同年三月一日から十月末日までの約定賃料合計四万八千円を書面到達後五日以内に支払うこと及びその支払のないときは賃貸借契約を解除する旨の催告竝びに条件附契約解除の意思表示をしたのに、控訴人がこの催告に応じなかつたこともまた当事者間に争がない。

よつて次に控訴人の抗弁について順次判断する。

(一)  原審証人齊藤由明(第一回)及び田畑金作(第一、二回)の各証言によると、控訴人は齊藤由明から本件家屋を賃借するに際し、敷金十万円を差し入れ、その敷金は新に賃貸人となつた金子元治に引き継かれたことが認められ、原審証人齊藤由明の証言(第二回)中これに反する部分はたやすく信用し難く、他にこの認定を動かすに足る証拠はない。

控訴人は右敷金については賃料の延滞を生じたときは当然に敷金と延滞賃料とを相殺する旨の特約があつたと主張し、原審における本人尋問でそのように供述しているけれども同供述はたやすく信用し難く、他に右特約のできたことを認めるに足る証拠はない。従つて、その特約を前提とする抗弁は採用できない。

(二)  次に成立に争のない乙第一号証によると、本件家屋の昭和三十年度の統制賃料額は一カ月金九百四十九円であることが認められるから、本件家屋の賃料に関する合意はこの限度で効力を有するにとゞまるべきであり、従つて、その賃料を一カ月六千円としてした前記延滞賃料の催告は過大であるといわなければならない。そして、控訴人はこの故に右催告は無効であると主張するけれども、長期に亘り統制賃料額を越える約定賃料を異議なく支払つて来た者が賃料の延滞を始め、その催告を受けてもこれを黙殺し、契約解除の意思表示が一応効力を生じたものと認められるに及んで突如としてその前提たる催告を統制賃料額を越える過大催告として無効であると主張するが如きは著しく信義に反するものといわなければならないから、かゝる賃借人はその催告の無効を主張し得ないものと解するるのが相当である。ところで、本件家屋の約定賃料は以上の認定により明かなように昭和二十八年八月の賃貸借の当初から統制賃料額を越えるものであるが、本件を通じて控訴人が被控訴人らのした前記催告期間の末日までに約定賃料について異議を述べたことを認めるに足る証拠はないから、前記催告従つてまたこれを前提とする右契約解除をともに無効とする抗弁は採用することができない。

して見ると、本件賃貸借は前記催告期間の末日である昭和三十年十月十日限り解除せられて終了し、控訴人はここに本件家屋を占有する権原を失つたことが明瞭であるから、爾後の控訴人の本件家屋の占有(控訴人が右賃貸借終了後も本件家屋を占有していることは当事者間に争がない)は不法であり、控訴人はその所有者である被控訴人らに対し本件家屋を明け渡すはもちろん、家屋所有者は他人がこれを不法に占有するときは特段の事情のない限りその適正賃料と同額の損害を被るものと認めるべきであるから、右契約解除の翌日の昭和三十年十月十一日から右明渡の済むまでその適正賃料と同額の一カ月九百四十九円の割合による損害金を支払う義務を有するものというべきである。

(三)  ところで控訴人は本件家屋について四畳半一室と五合五勺の押入を作り六万七千円を支出した故、これと前記敷金十万円を合算したものから本件家屋の統制賃料額による延滞賃料を差引いた残額の返還を受けるまで本件家屋を留置すると主張するけれども、原審証人齊藤由明(一回)、戸丸時雄の各証言によると、控訴人は齊藤由明所有当時本件建物中階下に四畳半一室と押入を作つたこと、その際造作の費用は控訴人の負担とし明渡の際は請求しない旨の特約をしたことが認められ、この認定に反する証拠はないから右六万七千円については控訴人にはこれが償還請求権ないのであつて、これを理由に本件建物を留置する旨の控訴人の抗弁は理由がない。

次に敷金の返還請求権にもとづく留置権の抗弁であるが、元来敷金は賃借人の賃貸借上の債務の履行を担保することを目的とするものであつて、その返還請求権と賃借物の占有との間には牽連関係はないから、これにもとづいて賃借物につき留置権が発生するいわれはなく、従つて右抗弁も又理由がない。

最後に延滞賃料の請求について按ずるに本件賃貸借について十万円の敷金が差し入れられていることは先に認定したとおりであるが、敷金は賃貸借が終了するときは賃料の延滞分につき弁済期の順序に従い当然に弁済に充当されるものであるから昭和三十年三月一日から同年十月十日までの延滞賃料が敷金による弁済の充当により消滅したことは算数上明白というべきである。

以上の次第であるから被控訴人らの本訴請求中本件家屋の明渡竝びに昭和三十年十月十一日から明渡済に至るまでその統制賃料額と同額の一カ月九百四十九円の割合による損害金の支払を求める部分は正当として認容すべきもその余は失当として棄却すべきである。これと異り昭和三十年三月一日から同年十月十日までの統制賃料額による延滞賃料の請求までも認容した原判決はその限度で失当であるからこれを変更することゝし民事訴訟法第三百八十五条、第九十六条、第九十二条、第百九十六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田中盈 山本卓 松本武)

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